スズキ・メソードのOB・OG会です。「心のふるさとキラキラ星」を共有する皆様と
 「一生楽しめるスズキ・メソード」をめざします。

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70周年記念コンサートに出演のOB・OGから

「素晴らしきかな」スズキ・メソードとその仲間たち
50年ぶりでも、楽しく合奏ができた!

2016年8月20日
鳥養 崇(とりかい たかし)

 
 2016年8月2日に、夏期学校開催中の松本市で行なわれた才能教育研究会70周年記念コンサートで、私は才能教育のOBとして、夏期学校出席の現役生徒とともにヴァイオリンを演奏した。ヴァイオリンを弾くのはおよそ50年ぶりだ。 

 私は4歳からヴァイオリンを始め、10歳から18歳までは鈴木鎮一先生に、自宅(現、鈴木鎮一記念館)で教えていただいた。しかし大学生となり、実家のある松本を離れてから今までヴァイオリンとは疎遠になっていた。

 そんな折、6月2日にブエナビスタホテルで開かれた才能教育研究会発足70周年記念式典に、私は母(箏演奏家・輪湖雅祁)の代理として参加した。母はスズキ・メソードをベースに子どもたちに箏を教えていて、海外から鈴木先生のところにお客様が来られると、日本音楽の代表として箏の演奏をしていた。こうしたことから全国大会では、ヴァイオリンと箏の合奏で「春の海」などが演奏されるようになっていた。

 70周年記念式典後のパーティでは、私の隣に記念行事を担当する末廣悦子理事が席につかれていた。鈴木先生の自宅生徒の仲間であった同理事から、8月2日に70周年記念コンサートを行なうので、OBとして合奏をしないかとの誘いがあった。しかし、私の楽器は状態が悪く、また弓も張替えが必要で、演奏をするには、まず楽器を購入する必要があることを伝えると、楽器を購入するなら楽器店を紹介してくれるとのことであった。

 これまで他からもヴァイオリンを一緒に弾こうという誘いはあったものの、なかなか一歩を踏みだせないでいた。しかし今回は8月2日に演奏するという目標があり、また多くの人との合奏で、弾ける曲だけでよいとのことから、今回はいい機会なので楽器を購入し、記念コンサートで弾いてみようと心に決めた。

 ということで6月下旬、末廣さんに紹介された楽器店を訪れ、ヴァイオリンと弓を購入し練習を始めた。しかし当然のこと、自分のイメージした音は出ない、弦をおさえると指が痛く、音程もよくない。さらに肩あてが鎖骨に当たり痛くて弾けない! 最初はこんなものと覚悟はしていたものの、やはり50年のブランクはとてつもなく大きい。

 そういえば何年か前のこと、今回コンサートで演奏するエクレスのソナタを街で耳にした時、私はメロディに合わせて指を動かしていた。その時は「あ~!まだ結構弾けるかも…」と思ったのだが、今回実際演奏してみると指が思うように動かない。コンサートまでは約1ヵ月、とにかく曲が弾けるようにしようと楽譜を購入し、毎日夕食前に1時間程度練習した。練習時間を作るため仕事から早く家に帰るようになった私を見て、演奏会前の妻(二期会会員)が、「いいことだ! 毎日練習すると気持ちいいでしょう! これからも続けたら?」と笑いながら言った。

 新しいヴァイオリンも、毎日弾くことで少しずつ音が出るようになってきていた。

 コンサートの案内では、暗譜で弾けない曲の時は、椅子に座っていてよいと書かれていた。しかし1曲ならまだしも、何曲も座ることには抵抗があったので、演奏曲目のうちエクレスのソナタ、ヴィヴァルディのaモール、バッハのドッペルコンチェルトを中心に練習したが、皆と同じように弾けるか不安が残った。

 それにしても、60年ほど前に勉強した曲を覚えていて、しかも暗譜で弾くことができるなんて何と素晴らしいことだ! たとえ50年のブランクがあっても、身体が曲を覚えている。「幼少期に繰り返し、繰り返し練習したことは、何年たっても忘れないのだ」ということを改めて実感したのであった。「恐るべし! スズキ・メソード」。  

思い出に残った控え室での合奏 8月2日、会場である松本市総合体育館に着いた。この場所は昔、陸上競技場があり、高校時代に毎日ここで練習したことを思い出し、とても懐かしかった。会場の控室に着くと、末廣さんをはじめ、多くのOB・OGが集まっていた。挨拶が終わり、楽器を取り出すと、誰となくヴィヴァルディのaモールを弾きだした。するとそれに合わせて2人、3人、最後は控室の全員が弾きだした。皆楽しそうだ。「そうそう! これが才能教育の合奏だ!」と昔を思い出した。次は、ドッペルコンチェルト。皆で合奏すると、弾けなかったところもうまくできる。不思議だ! 何となく自信が湧いてきた。

手前左から紿田俊哉OB・OG会副会長、鳥養崇さん、そしてミュンヘンから駆けつけられた黒河内健さんたちの勇姿 いよいよ本番である。会場には、OB・OGのために椅子が用意されていた。もうすぐ古稀になる私にとって、この配慮は嬉しい! OB・OGの参加者は70代から20代の人までおよそ50人いて、なかには赤ちゃんをおぶった女性がいた。音楽を楽しみながら育児するお母さんを見て、実にほほえましく、「がんばっていい子に育ててね!」と心の中で声をかけたのだった。

 会場の正面に設置された大型スクリーンには、松本音楽院での合奏の写真や東京体育館での全国大会の映像などが次々と映しだされた。松本音楽院での合奏の写真は、60年ほど前のもので、私も写っている。当時、こうした合奏練習で皆が疲れてくると鈴木先生は、近所から今川焼きを買ってきて、「さあ、これを食べて、またがんばりましょう!」と私たちを励まし、練習したことを思い出した。 

 記念コンサートの休憩時間には、昔の仲間で現在は指導者をされている佐々木衣子(旧姓・吉沢)さん、鳥羽尋子さんにも会った。皆さん、昔の面影が残っていて、50年ぶりでもすぐに打ち解け、話ができた。昔の仲間と会えるのも、こうしたコンサートの魅力の一つだと思った。 

 その後予定された曲目が次々と演奏され、最後のキラキラ星変奏曲が終わった時、得も言われぬ充実感と感動につつまれた。まわりのOB・OGに目をやると、皆とても満足気で晴れやかな顔をしている。きっと私と同じ心境だったのだろう!「あ~! 楽しかった~! もっと弾きたい~!」と。これからも、皆で演奏する機会があれば、参加しようと思った。

 今回のコンサートは、私にヴァイオリンを弾く楽しみを再び与えてくれただけでなく、新たに人とのつながりを与えてくれた場でもあった。それはOB・OG会の存在だ。コンサート終了後の夜にOB・OG会の懇親会が開かれた。懇親会の出席者は十数人であったが、さまざまな経験を持った人が集まり、才能教育時代の思い出や、参加者の近況などが報告され、とても楽しいものであった。また途中から末廣理事や鈴木裕子会長も参加され、一段と会が盛り上がった。私はこの会に参加したのは初めてであったが、暖かく迎えてくれ、初対面であってもフランクに話ができたことは、とても嬉しかった。これも鈴木先生の教えにより培われた「絆」によるものと、スズキ・メソードで勉強できた幸せを感じたのだった。

懇親会の一コマ。前列右から鈴木会長、石川咲子先生、清水緋菜子さん、清水優さん、後列右から鳥養崇さん、ロンドンの小玉モナ先生、紿田俊哉OB・OG会副会長 私は、これからOB・OG会の存在と、それに参加する「楽しさ」(昔の仲間にあった懐かしさだけでなく、一緒に演奏する時間を共有でき、曲を弾いた満足感が得られること)を、周りにいる卒業生に伝え、彼らがOB・OG会に参加してもらえるように働きかけたいと考えている。それほど、今回の70周年記念コンサートは、私にとって新たな機会を作ってくれた貴重な一日となった。

 こうした機会を与えていただいた才能教育研究会に感謝いたします。「ありがとうございました!」

才能教育研究会の明解なミッションを
外部に向かって強く発信してほしい!

二木 亮壽(ふたつぎ あきとし)

  
中央が二木さん 70周年記念コンサートへの参加は、楽しかった~。めったにない機会を作っていただいたことに感謝です。昔を思い出し、親への感謝の念を改めて感じました。

 鈴木先生の教えの益々の広まり、才能教育研究会の隆昌を心よりお祈りしています。もろもろの社会変化、特に少子高齢化・共働家族対する対応に工夫が必要と思います。「才能教育研究会」の明解なミッションを外部に向かって強く発信される事が必要と思います。

ヴィオラ・クラスにも夫婦で参加。
来年も参加したいとスケジュールを調整しています!

服部 眞一郎・宏美(はっとり しんいちろうひろみ)

   
 70周年記念コンサートのOB・OG控室で出番を待っている時、自然発生的に部屋にいる人たちがプログラムの曲を弾き始めました。最初は1人、2人だったのですが、すぐに拡大して狭い部屋は大合奏状態に。このパターン、子どものころに良く目にした光景で懐かしかったです。続いて本番、けっこう緊張しましたが、曲を弾き始めると指や腕が勝手に動いてくれ、会場の大合奏に溶け込むことができました。

 メヌエット2番やユダスマカベウスの合唱などの定番曲では、伴奏パートを弾きましたが、メロディパートとボウイングが違うので、少々勇気が必要でした。でも、伴奏パートの音がどこからともなく聴こえてくる「いつもの合奏」に参加できて楽しかったですね。

右端が服部宏美さん、お隣が旦那様の眞一郎さん。ヴィオラクラスでのレッスン風景です 一緒に参加した家内は、大人になってからスズキの門をたたいいて今に至るので、夏期学校に参加する生徒の一人として、ヴィオラパート席で弾かせていただきました。ヴィオラの人数がもっと増えるとウェルカムのように感じましたので、ヴィオラを弾かれる生徒さんやOB・OGの皆さん、次の機会にぜひどうぞ。

 翌日からの夏期学校レッスンでは、夫婦でヴィオラのクラスに参加しました。2人とも現大人会員として初めての夏期学校参加でしたが、まだ大人会員の参加は少ないですし、ヴィオラのクラスも初めてのようでしたので、子どもたちも不思議そうに見ていました。

 クラスは4名で(若人1名、大人3名)、ヴィオラ特有の奏法について勉強することができました。普段私はヴァイオリンを弾いていることが多いので、集中的にヴィオラを弾くこと自体も励みになりました。参加グッズの中に「弓の持ち方」の写真が入っていましたが、ウォーミングアップで「パンダ」や「9時12時」をすると、基本の大切さにあらためて気づかされますね。

 家内は夏期学校でヴィオラのクラスに参加することやコンサートに参加することなどをずっと夢みていましたので、今回、子どもの生徒さんたちと一緒にキラキラ星変奏曲まで同じステージで演奏できたことをとても喜んでいます。

 グループレッスンではテレマンのヴィオラ四重奏曲を練習し、最後に生徒4人で修了記念の演奏をしましたが、ご指導の先生方と生徒の「すてきな成果」になりました。

 お別れコンサートでは、超多人数の参加者の中で小規模ながらヴィオラパート・ブロックが編成され、子どもたちにも、やや馴染みの少ない「ヴィオラ」という楽器を見たり聴いたりしてもらえたと思います。

 ということで、大人会員やヴィオラ・クラスの参加者が増えることを期待しつつ、「来年も夏期学校で勉強しようかな」などと思いを巡らせながら楽器を練習しているこの夏です。

万感の想いを込めて、我が娘と並んで演奏しました。
この素晴らしい世界を、未来永劫に継承していきましょう!

清水 優(しみず まさる)

   
右端が清水さん(父)、その左が清水さんのお嬢さん、服部眞一郎さん、早野龍五さん(8月22日の定時総会後の理事会で、新しく才能教育研究会会長になられました!) 1967年(昭和42年)の夏期学校お別れコンサートは、前年に完成した才能教育会館で行なわれました。その時、私は、フィオッコのアレグロやヴィヴァルディのa-mollを演奏したのですが、特にフィオッコは、当時11歳の私はステージの最前列で、目の前で鈴木鎮一先生が指揮をされており、いまだにそのお姿がまぶたに焼き付いております。今回およそ50年ぶりに現役の子どもたちと一緒に演奏することができて感慨無量でした。記念コンサートで10曲余り、昔のことをいろいろ想い出しながら、万感の想いをこめて、我が娘と並んで演奏することができました。通算、13回目の夏期学校出演となりました。

 鈴木鎮一先生の生み出された才能教育の理念は、教え子たちの力によって、未来永劫受け継がれていくものと確信しています。年齢を重ねるごとに、この素晴らしいメソードの理解が深まるように感じます。老若男女問わず、スズキ・メソードの恩恵を受けたみんなの力を結集して、この素晴らしい世界を継承していきましょう。

久々の実に気持ちの良い瞬間でした。
本会OB・OGの層の厚さに、感じ入りました!

木村眞一(きむら しんいち)
スズキ・メソードOB・OG会会長

   
 本コンサートは、201682日、松本市総合体育館アリーナにおいて、50人のOB・OGが参集して盛大に挙行されました。参加されたOB・OGは各界で活躍される多才な方々で、本会OB・OGの層の厚さに、今さらながら感じ入りました。

控え室の中央で指揮?をする木村眞一OB・OG会会長 私が特に感銘を覚えたのは、本番前の控室におけるOB・OGの方々の想い想いの練習でした。中にはこの日のために何十年ぶりで楽器を購入した人あり、楽器を借りてきた人あり。しかしながら狭い控室で誰かがあの難しいフィオッコのアレグロを弾き始めると、何十年ぶりに弾く人も含めて、そこには実に良い音でメリハリのきいた演奏が展開されていました。OB・OGらしく、楽譜を真面目に見ている人は、ほとんどいません。正に感動のひとときであり、私もその演奏の中で両親、船橋孝昌先生、そして鈴木鎮一先生に心から湧き上がる感謝の念を捧げておりました。久々の実に気持ちの良い瞬間でありました。