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エッセイ

ママのヴァイオリン教室合宿体験記〜ピアノ科OG 相澤美智子さん

ピアノ科OGの相澤美智子さん 季刊誌No.184の「先輩こんにちは」に登場された、ピアノ科OGの相澤美智子さんから、娘さんのヴァイオリン教室の夏期合宿に初めて参加された時の驚きと、成長を願う親の姿を、生き生きとレポートしてくださいました。スズキ・メソードOB・OGの皆さんにとって、父となり、母となられた方々の気持ちと相通じるところがあるのではないでしょうか。「わかる、わかる」とうなずかれるところもたくさんあることと思います。
 相澤美智子さんは、現在、一橋大学大学院法学研究科准教授としてご活躍で、2012年3月に出版された著書「雇用差別への法的挑戦ーアメリカの経験、日本への示唆ー」(創文社)が、ジェンダー法学会の出している「西尾学術奨励賞」の受賞作に選ばれました。また、「Duo如水」の名前で、ヴァイオリン奏者でもある大先輩との演奏活動など、公私にわたって充実した生活を過ごされています。それでは、相澤さんのレポート第3弾が始まります。

はじめに

 2013年7月29日(月)から31日(水)、2泊3日で娘のヴァイオリンのクラス(関東地区・古谷達子・古谷いづみクラス)の合宿が行われた。場所は、上郷森の家。横浜市栄区という住所標記からは想像がつかない、山に囲まれた緑豊かな場所で、日常から解放された気分になる。娘は4歳、合宿は初参加である。

合宿の概要

手前が娘です まずは、合宿の概要を記しておこう。初日は、昼食後から開始となった。初めに、1時間余りオープニング・コンサートがあり、1巻の曲を中心に合奏が行われた。その後、2つのグループに分かれてレッスンが行われた。2つのグループのうちの1つは、1巻を勉強中の子どものグループで、子どもの年齢は4歳と5歳。勉強の進度と子どもの年齢という点で、均一性の高いグループといえる。こちらは古谷達子先生(以下、達子先生)がご指導くださった。もう1つのグループは2巻以上を学習中の子どものクループで、前期初等科卒業から高等科卒業までの小・中学生から成る。年齢・進度ともに幅の広いグループであり、こちらは古谷いづみ先生(以下、いづみ先生)がご指導なさった。私は娘に付き添って、前者のグループのレッスンを見学していたため、後者のグループのレッスン風景についてはお伝えできないことをお断りしておきたい。初日のグループレッスンは、途中におやつの時間を挟んで夕方まで2回行われた。夕食後は、2日目の夜の「お楽しみコンサート」の合奏曲のリハーサルが行われた。その後、お風呂に入り、就寝。

 2日目は朝の散歩(山の中のハイキングコースを40~50分くらい歩いただろうか)、朝食の後、9時から11時半までグループレッスン。昼食後も夕方まで、基本的にはグループレッスンであったが、途中、翌・最終日の「成果発表会」のリハーサルが行われた。リハーサルにはピアニストの先生がいらしてくださり、子どもたちは順番にピアノ合わせをした。夕食後、「お楽しみコンサート」。詳細は、後述。

 最終日の3日目も、散歩、朝食の後、1時間ほどグループレッスンがあり、10時過ぎから1時間半ほど、ソロ演奏と合奏から成る「成果発表会」が行われた。「成果発表会」の後、全員で昼食をとり、子どもたち(大人も?)お待ちかねのソフトクリームをいただき、解散となった。

グループレッスン

グループレッスン 1巻を学習中の4、5歳の子どもから成るクラスは、何と言っても集中できる時間のスパンが短い。確かに、もう一方のグループに比べれば均一性が高いグループではあるが、この年齢では4歳と5歳という1歳の年齢差ですら、集中力や理解力において差が著しい。そのうえ、進度的に「リズム(開放弦でタカタカタッタ)」を始めた子から、「ゴセックのガヴォット」を練習中の子までがいるため、一体どのようなレッスンが行われるのだろうかと興味深く見守っていた。結論から言えば、達子先生の忍耐と工夫に敬服してしまうような内容のレッスンだった。

 達子先生は基本を大切になさる。古谷クラスで「お肘の体操」といわれている、組んだ腕を弓のアップダウンと同じように上下させる運動は、弓に肘の重みをしっかりかけて弾けるようになるための訓練であるが、これを初日の最初に行われた。また、「リズム」を始めた子のみならず、バッハのメヌエットを弾けるようになった子に対しても、楽器を構える姿勢のチェックをしっかりと行われ、悪い癖がつかないよう、細かな点まで注意された。「リズム」の子を除き、残りの3人全員が弾ける曲を合奏させたり、一人一人に演奏させたりしつつ、個々の子に不足している点を注意された。
初日、見学していた私がびっくりしたのは、4,5歳の子どもに調性の説明をなさったことである。1巻にはイ長調、ト長調、ニ長調の曲が収められているため、この3つの調の音階を黒板に書き、「イ長調、シャープ3つ」などと子どもたちに唱えさせていた。5歳の子は、それなりに理解しているように見受けられたが、4歳のわが娘は、お友達に合わせて「二長調、シャープ2つ」と言っているだけのように思われた。しかし、「今すぐすべてを理解できなくとも、少しずつ西洋音楽の調性を理解させていこう」となさる先生の姿勢には、大いに感心した。

 2日目はほとんど終日、グループレッスンが行われることになっていた。私は、不遜にも、「まだ短い曲を10数曲しか弾けない小さな子どもたちを相手に、先生は丸1日何をなさるのだろう、時間を持て余してしまうことはないのだろうか」などと心配しながら見学していたが、さすがは達子先生、工夫を凝らし、子どもを退屈させることがなかった。子どもたちは前日に引き続き、キラキラ星から順番に全員で復習した。その日の午後には「成果発表会」のリハーサル(ピアノ合わせ)が予定されていたため、子どもたちはそれぞれに「成果発表会」で発表する曲を決め、個人レッスンをしていただいた(個人レッスンのときは、残りの子どもはゴソゴソしながらもレッスン中の子どもの見学をする)。娘は、バッハのメヌエット2番を弾くことにしたようだ。

 午後、ピアノ合わせを終えてグループレッスンが再開すると、ヴァイオリンはしばしお休みとなり、小林一茶の俳句カルタの絵札を見ながら、俳句の暗唱会が始まった。俳句をひととおり暗唱した後、まだ時間が残っていたので、次はどうなるのだろうと思いつつ見学していたら、達子先生は箱を出し、組み立て始めた。その箱は「宝くじ」の箱で、1巻の曲のくじが放り込まれ、すぐに「宝くじコンサート」が始まった。「リズム」の子がくじを引く番には、キラキラ星のくじ(リズム別になっているくじ)だけが箱に入れられ、その子は解放弦でくじに書いてあるリズムを演奏して、立派に「宝くじコンサート」に参加した。「リズムしかできないから、宝くじコンサートは見学」ではなく、「リズムならできるから、リズムで宝くじコンサートに参加させよう」という先生の考え方が素晴らしいと思った。以上のように、基本から応用、そして、レッスンのみならず「宝くじコンサート」や俳句も含む変化に富んだ、それゆえに子どもも楽しみながら受講できるグループレッスンが展開された。

「お楽しみコンサート」

お楽しみコンサートのあとの記念撮影 「合宿のハイライトは何だったか」と聞かれたら、私は、「成果発表会」ではなく、「お楽しみコンサート」と答えるだろう。「お楽しみコンサート」はその名のとおり、皆で楽しみ、大爆笑するような音楽の祭典だった。コンサート開始前、達子先生が「15分間、会場から出てください」と人払いをなさるので、不思議に思ったが、その理由もすぐに分かった。コンサートが始まるや否や、ニュースキャスターに扮したいづみ先生が、お手製のイギリス国旗・ユニオンジャックを振りながら、「本日はバッキンガム宮殿と中継がつながっております。バッキンガム宮殿で素敵なヴァイオリン・コンサートが行われるそうです」とオープニングの一声を発せられた。ロンドンの特派員が、バッキンガム宮殿でウィリアム王子と、生まれたばかりのジョージを抱いたキャサリン妃に、「お子さんの誕生、おめでとうございます。今のお気持ちはいかがですか」などとインタビューをする。特派員役、ウィリアム王子役、キャサリン妃役を演じているのは、子どもたちと1名の母親である(ジョージは、お人形)。ちなみに、彼ら・彼女らは、事前にしかるべき服を持参するよう、いづみ先生からメールで連絡を受けているが、その時点では当日の台本は知らされておらず、何のためにそのような服が必要なのか分かっていない。当日になって初めて、自分が何をさせられるのかが分かり、ほとんどぶっつけ本番で演じているが、いづみ先生の配役は見事で、皆、役にはまっている。会場は大爆笑。

 いよいよ音楽会が始まるということで、エリザベス女王の登場である。舞台袖から女王が登場すると、会場の笑いは最高潮に!エリザベス女王は、もちろん、達子先生。エリザベス女王ならば、きっとこんな服装をするに違いないというようなピッタリのお洋服をお召しになり、それにバッチリ似合うお帽子もかぶられて、本物と見間違えてしまうほどだ。女王を出迎えた子どもたちが女王に手渡した花束は、朝の散歩のときに山のハイキングコースで摘んだ花の花束。いづみ先生が散歩道で花を一生懸命摘んでいらしたのは、このためだったのだ。

 エリザベス女王をお迎えして、まずは「水上の音楽」の演奏。演奏は、上級生たち。女王は大変お喜びになり、「ハンガリアン舞曲」など上級生のアンサンブルが続いた。そのうち、小さい子たちも登場して、「森の音楽家」と「大きな古時計」のアンサンブルも行われた。子どもたちはそれぞれに、昼間の休憩時間に作った森の小動物のお面を頭につけ、実にかわいかった。

 予定されていた音楽のプログラムが終わると、達子先生といづみ先生がリビング付きのお二人のお部屋(宿泊室)に全員をお招きくださり、そこで宴会が始まった。大人はワインとおつまみ、子どもはジュースとお菓子で談笑。全員が入ると、大きな部屋も小さく感じたが、皆が肩を寄せ合って「お楽しみコンサート」の余韻に浸りながらおしゃべりした時間は、とても和やかで充実したひとときだった。

娘の成長を感じた瞬間

 2泊3日の短期間とはいえ、娘の成長を感じた瞬間が2回ほどあった。最初は、2日目の昼食後だった。午前のグループレッスンが終わり、楽器をケースに入れて宿泊室に置いた後、昼食会場に移動した。昼食後、宿泊室(4家族の相部屋)に戻りたいという子どもがおり、その子が大人から鍵を受け取って部屋を開けたようだったが、私が部屋に戻ったときには誰もおらず、がらんとしていた。午後のレッスンに備えて、娘のヴァイオリンを準備しておこうと思ったときだった。昼食前に置いておいた場所にヴァイオリンがないことに気づいた。私は青ざめた。昼食後、子どもが鍵を開けて部屋に入った後、鍵をかけずに部屋を出たのが明らかだったので、わずかの時間に楽器が盗難にあったのではないかと疑った。そのヴァイオリンは、達子先生からお借りしているものだったので、先生のヴァイオリンをなくしてしまったのではないかと焦った。

 もうすぐ午後のレッスンが始まろうという時間なのに、娘の姿もない。私は部屋を出た。娘はきっと、オモチャのある館内のキッズコーナーにいるに違いないと思いながら。ところが、キッズコーナーに行っても、娘がいない。一体どこに行ったのだと思いながら、娘と楽器を探して、上級生のレッスンが行われるホールに行ってみた。すると、ホールの隅の方に娘の姿があった。そして、しゃがんでいた彼女の足元にはヴァイオリンのケースがあり、彼女はまさにケースから楽器を出そうとしていた。「真希ちゃん、こんなところにいたの?!」びっくりして声をかける私に、娘は「うん」と言うと、私の手伝いも要求せずに、いそいそと自分で楽器をケースから出し、弓のネジを締めるのだった。私は驚いた。娘が食後に自分で部屋から楽器を持ち出し、ホールの隅で(そのときはお友達が一緒にいたわけでもないのに)一人で楽器を出し、レッスンの準備をしていたのだ(レッスン会場は、上級生のそれと下級生のそれを間違えていたのだが)。こんな娘の姿を見たのは初めてだ。その自立した、意欲的な姿に、私は娘の成長を感じ、「合宿に連れてきてよかった」と思った。

 娘の成長を感じた瞬間の2度目は、「お楽しみコンサート」のリハーサルのときだった。前述したように、「お楽しみコンサート」ではスズキ・メソードの教本には入っていない曲を娘も仲間と演奏している。「森の音楽家」と「大きな古時計」だ。後者のリハーサルのときだった。娘たち下級生がメロディーを弾き、上級生が低音を演奏していた。ニ長調―――それは喜びに満ちた調性だ。弦楽器で作るハーモニーは、純正調のそれで、どこまでも澄み渡り、天上の音のようである。皆の音がピッタリ合って、ひときわ透明度の高いハーモニーが形成されたときだった。「何て美しいのだろう。その音の1つを、まだ4歳の娘も一緒に奏でているとは、何と素敵なことだろう。」私は瞬間的にそんな感動を味わいながら娘の方を見た。すると、娘が顔をゆがめて、泣きそうな顔をしている。えっ、と思って見ているうちに、娘の目から涙がこぼれた。間もなく曲が終わり、娘が私の方にやってきた。私は娘に尋ねた。「どうしたの?何か悲しいことでもあったの?」娘は違う、と首を横に振る。「じゃぁ、どうしたの?嫌なことでもあったの?」また違うと首を横に振る。私は、もしやと思って聞いた。「真希ちゃん、もしかして、感動してたの?綺麗な音だなぁって思ってたの?」すると、娘は首を縦に振り、次の瞬間、堰を切ったように泣きじゃくり出した。私が「そうだよね、ママも綺麗な音だなと思って聞いていたんだよ」と言うと、娘はそれに同調するかのように、わんわん泣くのだった。

 娘が泣き続けるので、達子先生もお気づきになり、「どうしたの?」と娘のところに来られた。私が事情を説明すると、先生はそのときは「そうですか」とおっしゃっただけであったが、その日の夕食のときには、次のようにおっしゃった。「今日は真希ちゃんの違った面を見られて良かったわ」。そうおっしゃった先生のお顔は、子どもに対する愛情に満ちていた。娘が美しいハーモニーに――私も美しいと感じていた瞬間に――強く反応したという事実は、私にとってもこの上なく嬉しいことだった。

おわりに

 今回参加した子どもたちは、男の子3人と女の子6人(女の子のうち1名は2日目だけ参加)、例年よりも少ない人数だと聞いた。中学生の男の子2人は、いつも一緒で、母親たちには分からない2人の世界を作っていた。しかし、ひとたびヴァイオリンを弾き始めると、とても優しい音色で演奏していた。難しいと言われる年頃の男の子たちも、実はこんなに優しい子たちであったのだと認識させられる。女の子たちは、おしゃま。とくに、いつも一緒だった8歳、7歳、5歳、4歳は同室で、夜になると、並べて敷いた布団のどこに誰が寝るか、誰が誰の隣りで寝るか、と――大人にとってはどうでもいいじゃないと思えるような――寝る場所についての協議(?)を延々と続けていた。ぬいぐるみの取り合いもあった。しかし、仲直りするのも早く、やはり仲間が一番のようであった。達子先生はそのことを実によく心得ていて、こうおっしゃる。「子どもにとっての先生は、私じゃなくて、子どもなんですよ」。とくに、4,5歳の子どもにとっては、少し年上の子どもというのが、もっともよい「先生」になる。達子先生は、それを分かっていらっしゃるから、普段のレッスンのときにも、少し年上の子どもに、娘と一緒に弾いてくれるように頼む。娘にとって合宿は、「憧れのお姉ちゃん」がいつも一緒で、共に遊び、演奏してくれる刺激の多い場となったようである。

 私にとっても、合宿はとても楽しく、また新鮮な経験であった。スズキ・メソード育ちではあるが、ピアノ科出身の私には、合宿の経験がない。似たような経験といえば、松本の夏期学校であるが、その夏期学校も、ピアノという楽器の性格上、個人レッスンと個人演奏(夕べのコンサート)から成るものであったので、友達と一緒に演奏し、レッスンを受けるというヴァイオリンの合宿とは随分違う。「子どもにとっての先生は子ども」とおっしゃる達子先生の言葉を思い起こすと、ヴァイオリン科の子どもが合宿や夏期学校から得るものは、ピアノ科の子どもが夏期学校から得るものよりもはるかに大きいのではないかと想像してしまう(もっとも、私自身はピアノ科の夏期学校でよその地区の先生のレッスンや、同じくよその地区の子どもの演奏に接したことが、自分の意欲向上に大変役立ったのであるが)。

 私は大学教員という職業柄、普段の生活においては、たえず研究の内容や研究時間の確保について気にしているのであるが、合宿中は完全に仕事から離れ、子どもと音楽とだけに向き合うことができ、その意味でも2泊3日は貴重な時間だった。ヴァイオリンを通して子どもを育てたいという目的・価値観を同じくする他のお母さん方とゆっくりお話する機会がもてたのも良かった(ちなみに、古谷クラスの合宿の親の「宴会」は、実に穏やかであり、前述のとおり2日目の夜の「お楽しみコンサート」の後、子どもも交えて、先生のお部屋で行われた1時間程度のもののみであった)。私がひときわ嬉しく感じたのは、お母さん方のよその子に対する眼差しの温かさである。古谷クラスのお母さん方の全員がそうであるかどうかは分からないが、少なくとも合宿に参加したお母さんたちからは、「自分の子どもだけでなく、他のお子さんの成長を見られるのも楽しみ」という気持ちを感じ、そのような方々と共に子育てができることを幸せに思った。

 充実した3日間が終わった。帰りの車中で、娘に「合宿楽しかった?」と聞くと、即答で「たのしかったぁ!」と。「何が楽しかった?」と聞くと、「わかんなーい」(笑)。「来年も合宿行く?」と聞くと、すかさず「いくー!!」。合宿後、娘は上級生が演奏していたバッハやベートーヴェンを毎日何十回も、飽くことなく口ずさむようになった。やはり、来年も参加せずにはいられない。



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