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エッセイ

古谷先生クラス卒業証書授与の会に参加して〜ピアノ科OG 相澤美智子さん

ピアノ科OGの相澤美智子さん 季刊誌No.184の「先輩こんにちは」に登場された、ピアノ科OGの相澤美智子さんから届くレポート第3弾は、古谷達子先生の教室イベントとして開かれた卒業証書授与の会のレポートです。お嬢様の素敵な体験も含めて、お楽しみいただけます。
 相澤美智子さんは、現在、一橋大学大学院法学研究科准教授としてご活躍で、2012年3月に出版された著書「雇用差別への法的挑戦ーアメリカの経験、日本への示唆ー」(創文社)が、ジェンダー法学会の出している「西尾学術奨励賞」の受賞作に選ばれました。また、「Duo如水」の名前で、ヴァイオリン奏者でもある大先輩との演奏活動など、公私にわたって充実した生活を過ごされています。それでは、相澤さんのレポート第3弾が始まります。

はじめに

 2015年5月31日、古谷クラス(古谷達子先生、古谷伊津美先生)では卒業証書授与の会があった。前年の11月末に松本に送った卒業検定録音の合格者に対して卒業証書が発行されるが、それを子どもたちが古谷先生を通して受け取るというのが、卒業証書授与の会である。古谷クラスでは、毎年春から初夏にかけての時期にこの会が設定される。子どもたちは単に卒業証書をいただくだけでなく、前年に録音した曲を、さらに上達させて、皆の前で演奏することになる。私は、子どもたちの成長を祝うこの会が、毎年楽しみで仕方ない。

卒業証書授与式

最初のキラキラ星の合奏。 当日は午前10時に開会。まずは卒業証書の授与が行われた。子どもたちは1人1人達子先生に名前を呼ばれると、前に進み出て、卒業証書を受け取る。達子先生は毎年、子どもたち1人1人に記念品としてCDをプレゼントしてくださる。娘の真希子が今年いただいたのは、彼女が以前に「好きだ」と先生に話をしたことのあるオイストラフの演奏するCDであった。私は、即座に、先生が真希子のした話を覚えていてくださったのだと認識し、先生のお心遣いに感謝した。今年は、研究科Cの卒業生が2人もいて、その2人は卒業証書のほかに、達子先生からのCDのプレゼントと、才能教育本部からの記念品の置き時計もいただいていた。30余年前、私がピアノ科の研究科第III期(現在のピアノ科研究科B)を修了したときにも、記念に置き時計をいただいたことを思い出した。

 その後、卒業生の親が順に呼ばれ、先生から卒業録音の入ったMDと録音した演奏に対する講評の用紙を手渡された。よく読んで、日々のお稽古の糧としてください、という意味だろう。達子先生は、しかし、良い講評をもらった子の親に対しても、そうでない講評をもらった子の親に対しても、等しく、「お父様方、お母様方、お家での日々のお稽古、ご苦労様です」とねぎらいの言葉をかけてくださった。先生のこの言葉に、どれほど救われることか。

卒業曲の演奏

 卒業証書授与式が終わると、次は卒業曲の演奏になった。ゴセックのガヴォットから始まって、メンデルスゾーンのコンチェルトまで。今年は卒業生の数が前年に比べて多く、しかも、研究科Cを卒業した2人は、いずれもメンデルスゾーンのコンチェルトの1楽章を途中省略なしで演奏したため、卒業演奏だけでも2時間以上に及んだ。娘の真希子は、今回は初等科のブーレと、前期中等科のa-mollの1楽章を演奏した。卒業録音から半年以上経て、録音のときよりも美しく弾くことが期待されている。真希子は若干の緊張感が伴う場では、普段よりも上手に弾く子で(普段は緊張感がなさすぎということか・・・)、この日も生き生きと演奏した。

 同じ曲が何度も流れると、本当に、その子その子の個性が表れると思う。同じCDを聴いて、同じ先生のご指導を受けているのに、やはり音楽には、「人」が表れるのである。真希子と同じ前期中等科a-mollを弾いたSちゃんの演奏を聴いていたとき、私は静かな感動を覚えた。最初はただ聴いていただけであったのだが、そのうち、私の心には次のような思いが広がっていったのである。「Sちゃんの中には、a-mollが染み込んでいる。Sちゃんは、生涯、このメロディーと共に生きていくだろうなぁ」。うまく言葉にならないが、Sちゃんは「演奏」、すなわち、人に聴いてもらおうというステージでのパフォーマンスをしているのではなく、自分の中から自然に出てくる立ち振る舞いの一部としてa-mollを弾いていたように感じたのである。それほど、a-mollが彼女そのものになっていたように思った。その演奏は、とても優しく、丁寧で、9歳の子どもの演奏にしては内省的であった。

 演奏が進むにつれ、曲が徐々に高度になってくる。演奏者の技術も上がってくる。研究科Aを卒業したH君は、講評用紙において豊田耕児先生から高い評価を受けていた。この日の演奏も、真面目なH君らしい安定した演奏で、音も美しかった。H君といえば、3歳のときには「お稽古を始めましょう」と先生に言われても、「イヤだ!!」と言うことを聞かず、床の上でひっくり返っていたそうである。達子先生からうかがったその話を、私は真希子の練習中の態度が悪いときにときどき思い出すのだが、この日は、その話を思い出しつつも、見事に育っているH君の演奏を聴き、「真希子もいつかはあんなふうになってくれるだろうか」と思った。

 研究科Cを卒業したK君は、調子の良いときでも悪いときでも、歌心のある演奏をする。今年の4月から大学生になったK君は、大学の勉強がとても忙しいらしく、今回は卒業録音をしたときほどの万全のお稽古をして臨んだわけではなかったようだ。しかし、彼にしては不調だったともいえる今回の演奏も、聴く者を感動させずにはおかない、豊かな表現に満ちた演奏であった。卒業録音に対する舘ゆかり先生の評価は高く、達子先生は、「あの厳しい舘先生がベタ褒めですね」とおっしゃりながら、K君に卒業証書をお渡しになったほどであった。

 日々子どもを相手に奮闘し、なかなか克服できない課題の多さに打ちひしがれそうになる私は、よく育っている上級生の演奏を聴くと、希望の光を見るような思いになる。我が子についても、CDを聴かせ、達子先生と伊津美先生を信頼して、毎日真面目にお稽古を続けさせていれば、研究科を卒業する頃には、立派な演奏をする子に育ってくれるのではないか。上級生の演奏を聴くことは、子どもにとってだけでなく、親にとっても励みになるのである。

自由曲の演奏

 毎年、卒業証書授与の会では、卒業曲の演奏が終わると、自由曲の演奏時間となる。今年は、先にも述べたように、卒業演奏だけでも2時間以上に及んだので、卒業曲の演奏が終わったところで昼食となった。毎年、卒業証書授与の会の日のお昼は、幹事のお母様が少々値の張る高級なお弁当を人数分購入しておいてくださり、先生方と卒業生と親とで昼食会になる。この日は、K君のお母様が美味しい焼き菓子の差し入れをしてくださったので、デザートもあり、益々お祝いの食事らしくなった。

 食事のとき、私は、達子先生をはじめ皆さんに、自分がピアノ科の研究科第III期を修了したときの、東海地区ピアノ科卒業式の写真をご覧にいれた。自分の過去をひけらかすつもりはまったくなかった。ただ、30年ほど前のその写真は、つい先日、私が実家に帰って家の片付けを手伝ったときに、たまたま出てきたものであったのと、そこには、87歳の、まだまだお元気でいらした鈴木鎮一先生が写っていて、私が鈴木先生から卒業証書と記念品を直接に受け取っている(ピアノ科の卒業式では、研究科第III期の卒業生は1人ずつ鈴木先生から卒業証書と記念品をいただいた)様子が撮影されたものであったので、皆さんに卒業式における鈴木先生のお姿をご覧に入れたくて、持参したのだった。今の子どもたちや親は、実際に鈴木先生に会うことができないという点で少々可哀想だと思うことがあるのだが、そう思うのは、私だけだろうか。

 食事が終わると、自由曲の部になった。小さい子どもたちから順に、自分の好きな曲を弾くことになった。小さい子は自分が今まさに練習している曲を演奏したがる。完成度は高くなくても、「ここまで弾けるようになったんだよ!」ということを嬉しそうに披露する。それに比べて、大きい子は復習曲を演奏する傾向にある。弾ける曲を、より美しい音で演奏しようと心がける。今回、研究科Cを卒業した2人は、1人が3巻の初等科卒業曲のブーレを、もう1人が4巻の前期中等科卒業曲のa-mollを演奏した。いずれも聴きごたえのある上級生の演奏だった。音楽には、「これで完成」ということがない。より美しく、と追究を始めたら、終わりがない。親としては、娘にはそれを理解し、復習曲を磨き続けてほしいと思うし、研究科を終えたお兄さん、お姉さんの演奏は、復習曲を磨き続けることの意義を具体的に示してくれるものだと思ったのだが、6歳の娘はいったいどこまで感じ取ってくれたのだろう。

 皆が1曲ずつ自由曲を弾き終えた時点で、まだ時間が残っていた。「もう1曲、弾きたい人?」達子先生がお尋ねになったが、誰も返事をしなかった。今日の会を心から楽しんでいた私は、これで閉会になるのは残念と思い、皆さんにも聞こえる声で真希子に言った。「真希ちゃん、昨日復習したg-mollを弾いてみたら?」と。すると、真希子は、最初は「え~」とイヤそうに言ったが、すぐに「K君とだったらいいよ!」と言い出した。K君とは、研究科Cを卒業した真希子にとっての憧れのお兄様である。真希子がK君をご指名したのを受けて、達子先生が声をかけられた。「じゃぁ、真希ちゃんと、Sちゃんと、K君の3人でg-mollを弾きましょう」と。Sちゃんは、自由曲としてg-mollの1楽章を弾いたばかりであったが、すんなりともう一度演奏することに同意した。18歳のK君、9歳のSちゃん、6歳の真希子が横1列に並ぶと、見た目には大・中・小という感じで、何とも微笑ましかった。

真希子とSちゃんとK君のg-mollの演奏の様子です。 さて、3人がCDの伴奏に合わせてg-mollの1楽章を弾き始めて、最初のtuttiの部分が終わり、soloに入ったあたりだっただろうか。それまで座っていらした達子先生が黙って立ち上がられ、3人の演奏している舞台の方に歩み寄られた。そして、いきなり舞台に上がられると、聴衆を向いて演奏中の真希子とSちゃんの向きを90度回して、舞台の中央を向くようにした。続いて、K君の向きを真希子たちとは反対周りに90度回し、やはり舞台の中央を向くようにした。その結果、真希子とSちゃんはK君と「お見合い」をするような格好になった。達子先生は、そこまでなさると、黙って舞台を降りられた。

 真希子とSちゃんの視界には、もう聴衆はおらず、K君のみである。彼女たちは憧れのK君を時々チラッ、チラッと見ては、「あらら・・・」と楽器を構える姿勢を直してみたり、動きが鈍くなっていたお肘をしっかり動かしはじめたり、歌心たっぷりのK君につられてメロディーを味わうような表情になって弾いたり・・・。達子先生は「子どもにとっての先生は、私じゃないのよ。お兄さん、お姉さんなのよ」とおっしゃっていたことがあったが、それを実によく心得ていらっしゃる。真希子は憧れのK君と一緒に弾ける喜びを存分に味わっていた。それは、演奏する彼女の全身から伝わってきた。K君はK君で、先輩として小さい子どもたちを思いやってくれた。演奏に余裕があるので、真希子やSちゃんを時々優しい目で見ては、彼女たちに悪い見本を見せないようにと、心を込めて演奏していた。後日、K君のお母様からうかがったが、彼は「お見合い」をさせて弾かせたこのときの達子先生の教育的配慮について、「脱帽」との感想を述べていたそうである。

おわりに

 私は、3人が「お見合い」をして弾いている姿を、万感の思いで見守った。研究科を終えた18歳のK君が、g-mollと言われて、すぐに立ち上がって、小さい真希子たちと一緒に弾いてくれる。「そんな昔の曲、いきなり言われても弾けません」という言い訳や、「楽譜、ありますか?」などという野暮な質問はない。真希子自身も、g-mollといえば、半年も前に弾き、すでに(今年度提出するための)録音はすませてあるが、復習を続け、こうしてK君に一緒に演奏してもらえる機会を得ることができた。6歳の子が、9歳の少女が、18歳の青年が、それぞれの、その時々の技術と思いで、この世の宝の一つであるといえる誠に美しいヴィヴァルディの名曲を、喜びをもって弾き、心を通わせている。そして、その3人を取り巻く私たち親の中に、自分の子、他人の子ということを越えて、クラスの子どもたちの成長を喜び、これからも美しい音楽の中で、皆で助け合いながら子どもたちを育てあいましょうという空気が生まれる。これぞスズキ・メソードである。このようなことは、通常のグループレッスンの中でも経験できなくないが、卒業証書授与の会は特別である。「卒業」という出来事が、私たち親に子どもたちの成長をより強く認識させてくれる。そして、「会」という場が、私たちの喜びを、他人と共有することを通してより大きくしてくれるのであり、そこから共感や助け合いの気持ちが育まれる。だから、私は卒業証書授与の会が好きだ。毎年、お忙しい中、このような会を設けてくださる達子先生、伊津美先生に感謝!


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